§守・破・離§
§守・破・離§
「その道に入らんと思う心こそ、我が身ながらの師匠なりけれ」とは千利休居士の百首(道歌)にある言葉である。
『一つの道に志を立て、本気になって自ら学ぼうとする心には、既に立派な師匠が就いたも同然である』
というような意味である。この言葉に始まり「規く作法守りつくして破るとも離るるとても本を忘れるな【基本を守り極め、応用できるよう進歩し、更に自分独自のモノを創り上げても基本精神は忘れるな】」で締めている。この考えは茶道に限らず、剣道・弓道・柔道等およそ”道”のつくものには、”守・破・離”という考えが浸透している。
”守”とは、まず最初の段階で、師の教えと基本を守る事から始まる。師の持つ価値観や行動を己のモノにし、それを取得できるまで繰り返し稽古する。
”破”とは、次の段階に入り自分独自に創意工夫して、師の教えにない方法を試して試行錯誤してみる。すると良いモノが何故良いか、悪いモノがなぜ悪いかが判ってくる。それにより自分独自の発展を試みてゆく。
”離”とは、最終段階で、いよいよ師のもとから離れて、独自に編み出したモノを発展させてゆく。ただし、大本の基本は忘れてはならぬという事である。
【学問の基本は真似る事から始まる。だから”学ぶ”は”真似る”である】どの道にも必ず最初は基本形というものがあり、それを繰り返して何度も稽古をしなければならない。その基本形は長い間受け継がれてくるうちに創意工夫が加わり、良いモノが残される。そうやって時代を経るにしたがって人は進歩する。
【そして物事を深め「深化」になり、新しいモノを加え「新化」とし、全体の「進化」がある】
おそらく利休の”守・破・離”のもとになったであろう世阿弥の『花鏡』では、種が守、花が破、実が離にあたる。
いずれ種という素材に水や肥料(努力)を加えなければ花にならぬし、花も実を残せねば次世代の種にならない。
炎の教師・吉田松蔭は『留魂録』で「優れた才能の持ち主を集めて学校を作り、先人の志しを継がなければこの国は駄目になってしまう」と言っている。
そして師・佐久間象山や佐藤一斎に学んだ事を発展させ、
伊藤博文、
山県有朋、
高杉晋作、
久坂玄瑞ら国を支える礎になる人材を多数輩出した。
それは人材育成に”守・破・離”の考えを持っていたからだ。
我々も一個の人間として、自分を越えるような人間を一人でも多く育てねばならぬ。どんなに物質的な財産を残そうとも、形の有るモノはいずれ無くなる。それよりも人の在り方として次世代に”心”と”志”を残さねば、いずれはこの国は最も大切なモノを失ってしまう事になるのではないか!?
『守ハマモル、破ハヤブル、離ハはなると申候。・・・・』 川上不白(不白流開祖の茶人)『不白事記』
(11時04分)
§守・破・離§
「その道に入らんと思う心こそ、我が身ながらの師匠なりけれ」とは千利休居士の百首(道歌)にある言葉である。
『一つの道に志を立て、本気になって自ら学ぼうとする心には、既に立派な師匠が就いたも同然である』
というような意味である。この言葉に始まり「規く作法守りつくして破るとも離るるとても本を忘れるな【基本を守り極め、応用できるよう進歩し、更に自分独自のモノを創り上げても基本精神は忘れるな】」で締めている。この考えは茶道に限らず、剣道・弓道・柔道等およそ”道”のつくものには、”守・破・離”という考えが浸透している。
”守”とは、まず最初の段階で、師の教えと基本を守る事から始まる。師の持つ価値観や行動を己のモノにし、それを取得できるまで繰り返し稽古する。
”破”とは、次の段階に入り自分独自に創意工夫して、師の教えにない方法を試して試行錯誤してみる。すると良いモノが何故良いか、悪いモノがなぜ悪いかが判ってくる。それにより自分独自の発展を試みてゆく。
”離”とは、最終段階で、いよいよ師のもとから離れて、独自に編み出したモノを発展させてゆく。ただし、大本の基本は忘れてはならぬという事である。
【学問の基本は真似る事から始まる。だから”学ぶ”は”真似る”である】どの道にも必ず最初は基本形というものがあり、それを繰り返して何度も稽古をしなければならない。その基本形は長い間受け継がれてくるうちに創意工夫が加わり、良いモノが残される。そうやって時代を経るにしたがって人は進歩する。
【そして物事を深め「深化」になり、新しいモノを加え「新化」とし、全体の「進化」がある】
おそらく利休の”守・破・離”のもとになったであろう世阿弥の『花鏡』では、種が守、花が破、実が離にあたる。
いずれ種という素材に水や肥料(努力)を加えなければ花にならぬし、花も実を残せねば次世代の種にならない。
炎の教師・吉田松蔭は『留魂録』で「優れた才能の持ち主を集めて学校を作り、先人の志しを継がなければこの国は駄目になってしまう」と言っている。
そして師・佐久間象山や佐藤一斎に学んだ事を発展させ、
伊藤博文、
山県有朋、
高杉晋作、
久坂玄瑞ら国を支える礎になる人材を多数輩出した。
それは人材育成に”守・破・離”の考えを持っていたからだ。
我々も一個の人間として、自分を越えるような人間を一人でも多く育てねばならぬ。どんなに物質的な財産を残そうとも、形の有るモノはいずれ無くなる。それよりも人の在り方として次世代に”心”と”志”を残さねば、いずれはこの国は最も大切なモノを失ってしまう事になるのではないか!?
『守ハマモル、破ハヤブル、離ハはなると申候。・・・・』 川上不白(不白流開祖の茶人)『不白事記』
(11時04分)
【今晩のカレンダー】
【やっただけのことは必ずある】
無駄なようでも、意を尽くしたことは
どこかで、小さな芽を出す。
すべてが未来の成果に繋がっている。
【自分だけの欲に、とじこもらない】
欲しい物をかき寄せようとする掌を、思い切って他人に向け、押しやってみよう。固く握って放さない拳を開いてみよう。
(15時40分)
§大徳寺昭輝§
北海道小樽・住吉神社の栞
【素直な心に光があらわれる】
【心を正せば運命は変わる】
(15時51分)
【日はぎカレンダー】
2013年4月12日(金)
旧3月3日
六白【大安】
つちのえ さる
【甲府武田24将騎馬行列】【旧ひな祭り】【世界宇宙飛行の日】
(金言)
【すべての人には、その個性の美しさがある】
(4月17日10時54分)